小学校二年生の頃、転校のため夏休みの間に引っ越した俺は、近所の図書館に入り浸っていた。
その図書館では予約制でビデオとブースをレンタルし、鑑賞することが出来た。
ラインナップの中には子供が好むアニメから歴史等の学習のためのビデオ、洋画などがあった。
その中でもバック・トゥ・ザ・フューチャーと新世紀エヴァンゲリオンがお気に入りで、
何度も繰り返し見ていた記憶がある。
小学校から中学校に上がる頃、深夜の地上波で攻殻機動隊SACを放映していて、
それを見始めるようになってから、加速度的にオタクへの道へ足を踏み外したように思う。
それから、ゲーム・アニメを満遍なく浅く広く触りながら、
8~90年代頃のSF的なジャンルの洋画を好んで見る時期が続いた。
ロボコップ、トータル・リコール、ジュラシックパーク、
スター・ゲイト、メン・イン・ブラック、アンドリューNDR114、
ザ・ワン、フィフス・エレメント…。
どちらかと言えば、ある程度科学的・現実的な背景を持った作品を好んで見ていた。
または宇宙・時間移動・並行世界・機械(義体・サイボーグ・ロボット)あたりか。
こういった作品に浸かって育っていたため、
"21世紀の未来"について過剰な期待を持って生きてしまっていた。
タイムトラベルに夢を感じ、空飛ぶ車が発明されると信じ、ホバーボードが産み出されるのを待ち望み、
14歳になれば何か特別な事が起こるのだと信じて疑わなかった子供時代だった。
しかし、この年まで生きてみれば何の事はない。
自分が生きている未来は、あくまで日常でしかなく、未来的には感じられないのだ。
道行く人が板状の小型端末で情報をやり取りし、
ホログラム的に写し出された電子アイドルがライブをし、
重力波の実在が証明され、ゲームは今やVRの時代だ。
初めて見る時こそ驚きを持って迎えるものの、
触れ続けているうちに空気のような存在に変化してしまう。
未来は揮発性で、新鮮な感情はとどまってはくれなかった。
それに加えて、俺が想像していた未来は、怪しいネオンに照らされ、常時酸性雨が降り注ぎ、
大きな暗闇を抱える街なのだ。
そんな未来は来るはずもないし、冷静に考えれば、未来的というのは清潔で、
高度に効率化されているべきである。
マイノリティリポートとかはそんな世界観に近いかもしれないが。
思うに、20世紀後半の陰鬱な雰囲気をたたえたストーリーや世界観は、
戦後や冷戦の重苦しい時代を経て産み出されたものだったのではないかと思う。
現在は、過去に比べて様々なものの解放・開放が進む時代であり、
抑圧された空気が醸成されづらい世情である。
そういった環境で生み出されていく新世代の描く「未来」に、
果たして俺は「未来」を感じられるのだろうか。