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【雑記】思考の限界になるとお粥のようなコンテンツしか摂取できなくなる

年が明けてから、従来の業務に加えてJavaのAPIをGo+Lambdaに移植するお仕事をしています。
GoもLambdaも未経験で何もわからんと思いながらやってますが、なんやかんやで3週間で12APIくらい移植できたので頑張ったなと思います。
昨年の年始と違って、フォローしてくれる仲間もいるし、不安や不満を聞いたり肯定している土壌もあり、わからないことを教えてくれる知人もいる状態なので、だいぶ健やかに過ごせています。

転職してからの経歴を思い返すと、

  • 別アプリケーションの画面と同じものを今触ってるシステムに作り直す×2
  • Java → KotlinのAPIサーバー作り直し×3
  • Groovy → KotlinのAPIサーバー作り直し
  • Java → Go + LambdaのAPIサーバー作り直し

と作り直すお仕事にばかり参画しています。不思議ですね。

まぁそんなのはいいんですけど、新しいことに没頭して摂取・学習している時期って、普段の思考や検討に使う脳の部位とは違う場所使いますよね。
なんというか、脳の今まで使ったこと無い部分を押し広げていくような…。
自分の思考の領域が拡張される感覚が楽しくて、ついつい限界までやってしまいがちです。

思考の限界に至ると積み上げ式の論理的な思考ができなくなってしまい、ポッドキャストを聞いても頭に入らない、小説を読んでも物語が脳内で組み立てられない、映画を見ても…となってしまいます。
こういう状況になると、優しい動物がじゃれるドキュメンタリー映像とか、日常系の山も落ちもない日常アニメ、キルミーベイベーみたいな緩い、お粥のようなコンテンツしか摂取できなくなりました。
だからどうという話でも無いんですが、こう、脳の思考が停止している感覚に自覚的になる経験ってあまりなかったので面白いなと思った体験でした。

昔はめちゃくちゃに頭使ってもこうなることも少なかったので、こういうのも加齢なんですかね…悲しい。